和菓子司・萬祝処 庄之助|二、旅ガラス、後編|神田

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呼出し太郎一代記、4
前原太郎

二、旅ガラス、後編

最初の軍隊慰問相撲

 さて、運よく軍隊の好意で一晩を暖かく眠ることができた。で、夜が明けるとともに、親方は
すぐ出発できるようにと、司令部へ便乗券の交付を頼みに行ったが、この奉天では手続が複雑で、鉄嶺のように簡単には話も進まなかった。
もっとも考えてみると、頼むほうが初めから無茶で、六十人近い団体をクダで内地まで送り届けてもらおうというのだから、全く心臓が強い話である。こんな無茶が通ったのも、無神経な者ばかり集まっているわれわれだからこそであったろう。
 交渉に行った親方が帰って来ての話で、切符が出るまではどうしても二、三日はかかるとのことであった。
「そうすると、われわれはその間干ぼしですか」
と、食べざかりな若い衆が、いかにも情なさそうな声で親方に聞いたところ、ぼんやりしているようでも、親方はさすがにそんな方面には抜け目がなく、われわれが一文なしであることを司令部の係官へ正直に話して、残飯でいいからといって、滞在中の食事の画倒を何とかみてもらうようにしてきたという。
 この話を聞いて、われわれは一時に一肩の荷が下りたような気分になり、そうと決まれば天幕の中で、何ももたもたしていることはなし、のん気に兵隊さんたちの演習ぶりを見に出かけた。
そんな具合で、その頃の相撲取りは実にのんびりしていた。御飯さえ食べさせてもらえれば、自分がいかに無一文でも平気であり、そして、上から命ぜられるままに動きもすれば、どこにでも腰を落ち着けるのであった。
もっとも、この満洲ではいかに金を持って個人行動をとりたくとも、ちょっと動くわけにいかないし無一文とあればなおさらのことである。

 われわれ異様の者どもが、あまりにものん気そうに演習を見物しているので、それを不審に思ったのか、演習をしている兵隊さんの中から中尉の軍服を着た入がツカツカと抜けて来て、
「君たち、こんなところへ何をしに来たんかね」
と、話しかけた。あとで名前を聞いたら、その人は大川さんといって、主計中尉であった。この質問に、われわれのうちの一人が、
「実は満洲まで巡業に来たんですが、初めのうちの景気のよかったのをいいことに、奥地へ入り過ぎ、すっかり食いつめてしまいました。戦い敗れて、これから内地へ帰るところなのです。早く帰りたいんだけど、これから先の切符がなくて、昨夜ここで汽車から下ろされてしまったんです」
と、答えた。
「ほおう、なかなか開拓精神が旺盛だね。立派なモンだ。ちょうどいい。ここで、もう五日すると招魂祭があるんだが、君たちその日まで逗留して、特別出場で相撲をとってくれないか」
 われわれにとって正に渡りに舟の話。だが一応は親方に相談しなければならないので、
「結構な話で、私らとしたらいくらでもとりたいのですが、一行に親方がいますのでそれに話してみます。ただ問題は私ら六十人の泊るところだと思うんですが……」
と、いうと
「宿舎ならまかせておけ、こっちで準備するから。それに相撲をとってくれるのだったら、帰りの汽車の切符はこっちで面倒をみるよ。親方にそういってくれ」
 願ってもないことである。さっそく親方のところへ行くと、一も二もなく承知してくれ、とうとう招魂祭に相撲を奉納することにした。おそらくこれが、後に大東亜戦争とやらに発展して、大いにハヤリものとなった、兵隊さん方に慰問相撲を見せた最初だろう。
 話しが決まると、軍隊は確かに偉いもので、すぐに一行六十人を収容する天幕宿舎をつくってくれ、することもないまま遊んでいて、ただで大飯を食べさせてもらい、酒も呑み放題に与えられるという万事に恵まれた待遇を受けた。そして、招魂祭の相撲をつとめ終えると、一行に謝礼として百五十円の軍票と、釜山までの客車便乗券をもらい、苦楽ともに多かった朝鮮・満州巡業を終えて、五か月ぶりに懐しい内地へ帰った。

ある日の仁侠伝

 この巡業中に、私は一つの任侠武勇伝(でもあり、また奇態な人情ばなしでもある)を残した。
それは大連でのことである。ことの起こりはわれわれの呼出し仲間の幸一にあった(一行の呼出しは、私と幸一の二人だけ)。辛一は妙なクセを持っている。酒を呑んでいい気持になると、つい人様のモノに手を出して失敬する。泥棒上戸(じょうご)とでもいうのだろうか。私はこの幸一の悪習に内地にいる時から、さんざん悩まされてきた。だが、これまでは、感心にも相撲取り仲間のものに手出しがなかったので、あまり問題は起こさかった。

 ところが、どんな魔がさしたものか、この大連で鶴ノ森という関取りの明荷から、着物をごっそり持って行ってしまった。もちろん、私はそれを全然知らなかった。この日は、大連での相撲の千秋楽で、あくる朝永廊へ旅立つというので、私は打ち出しになるとすぐに宿へ帰り、手回り品の整理をしていた。ところが幸一は、なかなか帰って来ず、やっと日が暮れてからもどって来たのだが、彼はどこで呑んだのか一杯機嫌の危険状態である。

「こりゃいかん」
 私は友だちの身のこと思って、自然に警戒をしてやろうという気持になったが、実は彼はもうこの時には、すでに相撲場で例のものを失敬してきた後だったのである。幸一は、私に酒くさい息を吐きかけながら、
「おい太郎、おれは遊んでくる。これを預かっといてくれ」
といって、呼出しの衣装の一つである腹がけを渡し、よろめく足で、そのままプイと夜の街へ出て行ってしまった。こうなると、もう私は面白くない。
「勝手にしやがれ。臭い飯を食ったって自業自得だぞ」
と、そのまま放任した。
 放任したと思った私が、実はこの時に、たいへんな物を預かっていたのである。後になって私は、この預かった腹がげがもとになり、痛くもない腹をさぐられて、さんざっぱら小突き回される破目となるのである。だが、この時の私は何も知らないから、幸一は今晩帰らなくとも、明日の朝は駅へ来るだろうと思って、簡単に預かったわけだ。

翌朝、集合場所の大連駅へ行ったら、鶴ノ森関が同僚の関取衆に
「ゆうべ、おかしな夢を見たよ。俺の明荷を空っぽにされてるのさ」としゃべっていた。まさか、これが正夢だとは思わずに……。

一方、幸一はいくら待ってもやって来ない。来ないのが道理で、彼はもう雲を霞とズラかっていたのである。しかし、このとき私はまだそうとは知らないから、大いに心配をし、きっとひと汽車遅れて来やがるのだろう、としか考えなかった。ところが、彼はとうとうその翌朝になっても姿を現わさず、それのみかわれわれの前からキレイに消え去ってしまった。

 われわれは、その日のうちに永廊へ着いたが、道中で相撲は休みだったので、この日はまだなんの問題も持ち上がらなかった。その次の日、大連の相撲から数えて二日目、私は幸一が来ないため、一行の呼出しが一人となったので、朝から大鼓だ、雑用だで、きりきり舞いをさせられ、昼すぎになってやっと一段落がついたので、飯を食いに仕度部屋へもどった。と、部屋は大騷ぎ、泥棒がはいって鶴ノ森関の明荷から着物類だけを、キレイにかっさらったと、いうのである。

 だが、私には関係のないことだったので、きわめて落ち着き、隣村の火事を見物しているようなつもりで、この話しを聞いていた。そして私は、その後また土俵の方が忙しくなったので、コソ泥の話しはすっかり忘れていた。

波に千鳥の質礼

夕方、相撲を打ち上げて宿へ帰り、タ飯もすませてホッとした時に、私は幸一の来るのがあまりにも遅いので、何気なく彼から預かった腹がけをとり出し、どんぶりに手を突っ込んでみた。
するとそこから一枚の紙きれが出てきた。よく見ると、波に千鳥の入った質札である。とたんに私の頭にハハアと来るものがあった、「幸一の奴、あの晩にやりゃがったのだな。そしてズラかってしまいやがったのか」という霊感が……。

 質札をひろげてみると、あるある。昼間ちょっと耳にはさんだ、鶴ノ森関が盗られたといっていた着物の名前が、お預かり品を書きこんだ中にズラリとならんでいる。私は「こりゃいかん」とも思ったが、やっぱりこれは届け出たほうがよかろうと、すぐさま鶴ノ森関のところへ、「関取、こんなものが出て来たんだが」
と、質札を持って行った。すると、関取は顔色を変え、
「なにい、おいこら野郎、これはどこから出したんだ?」
とすごい剣幕で私にいどみかかってきた。
「いや、私はなにも知らんのだが、きょう宿へ帰ってから、幸一の奴の来るのがあまりにも遅い
ので、なんの気なしに大連で預かった腹がけをとり出してみたところ、その中からこれが出て来
たんですよ」
「ウソつけ」
「いや、本当ですよ。だからこそ、関取にこれを届けたんです」
 だが、カンカンに怒っている鶴ノ森関には、私のいうことなど一こう耳にはいらない。それどころか、届け出たのを悪意にとって、
「自分がやったことをうまくかくそうと思って、今これを持って来たんだろう。辛一はお前と友
だちだし、そうに違いない。お前が幸一をそそのかして、あいつに盗ませ、とった金は使ってし
まって、幸一だけを大連へ残した。お前らのやりくちは、ようわかっとる。お前もグルだ……」
と、どなりつける。
 私としては迷惑至極で、全く身に覚えがないこと、届けるほうがいいだろうと思ってしたことが、とんだ災いとなった。激怒した鶴ノ森関は、私が正直に話すのを、あくまでも弁解をしているのだととり、
「やい野郎、お前がそんなにまでシラを切るんだったら、出るところへ出て調べてもらおう、そ
れでもかまわんか」
と、浴びせかけてきた。だが、私は冷静そのもので、
「ええ、いいですよ。なんといわれたって私は知らんのだから、それを私がグルになってやりま
した、といったら、それこそ本当のウソになる……」
と、どこまでもがんばった。
 そして、とうとうこの事件は刑事沙汰となり、私は永廊の憲兵隊へ突き出された。その頃、満洲にはまだ日本人を取り締る警察組織がなかったので、モメごとは、すべて憲兵隊へ持ち込むことになっていたのである。

「太郎はウソは申さない」

 翌日、私はサーベルでおどかされながら、憲兵の取り調ぺを受けた。初めは筋書きどおりの取り調べで静かな口調だったが、だんだんと声が荒くなり、私があまりにもがんばったので、おしまいには、
「お前、ここは満洲なんだぞ。ここで白状すればよし、もししなかったら白状するまで二年でも、三年でも、この満洲へ置いといて日本へ帰さんぞ」とまでオドかされた。

 当時、私は満でいって十八ぐらいだったと思うが、この小僧っ子をおどかすのには、日本へ帰さないぞというのが、一番効果があるだろうと考えたに違いない。だが、そんなことでひるむ私じゃない。相当以上の悪童だったから、憲兵隊なんかビクともせず、私はその場へアグラをかいて座りこみ、
「オイラも男だ。しかも江戸っ子だい。そのオイラがやった覚えのないことを、やりましたなん
て死んだっていえるけえ」とやり返した。これにはさすがの憲兵先生もあきれたらしい。
「こいつのいうことは本当らしい。待てよ……」
と、この事件の裁きをつけてくれ、直ちに釈放してくれた。

もちろん、これが当然のことではあるが、私は憲兵隊の門を出る時、実に胸の中がスーとした。だが、釈放する時、憲兵の上官は迎えに来た親万に、
「この小僧は相当なものですぜ、実にガッチリしてやがる。しかし、それだけに悪さをさしたら、どんなことをするか底がしれない。この先、連れて歩いたら、きっとあんたたち一行が迷惑するに違いないから、放り出したほうがいいですな」
と、いらぬ入れ知恵をさずけたものだ。この忠告に、迎えにきた親方もすっかりその気になったらしく、親方衆の協議にかけた。私こそいい面の皮で、西も東もわからんこの満洲へ投げ出されたら、さだめし今夜の宿にも困るであろう……。

 親方衆が協議した結果、太郎も一行の一員だから、彼をクビにするかどうかは、一行のみんなの多数決によって決めようということになったらしい。こうなると、ますます私にとって不利である。憲兵隊では無罪だといわれて来たが、一行のみんなはまだ私も共謀していると思い込んでいる。そして、ことに若い衆はしょっちゅう私に痛めつけられていたから、時こそ至れりという
しだい、形勢は全く私に不利である。
 
親方がみんなの意見を集めたところ、はたして一行五十数人のうち、ただ一人を残してあと全部が、私をクビにすることに賛成だった。私の馘首に反対してくれたたった一人の人が、一行の大関大江山関で、
「そんなことをしたらいかん。太郎のいうのは本当だ。幸一をつかまえて、彼に白状させにゃいかん。それを太郎が同僚だからといって、罪をなすりつけるのはいかんことだ。今ここで、わずかそれだけの理由で太郎を放り出すのは可哀想だ。憲兵隊の人が、何といったかはワシは知らん。だが、あの人たちが見た太郎は、取り調べている時だけの太郎で、太郎の日頃の行ないは、いっしょに歩いているワシらが一番よく知っているはずだ。そりゃ、太郎は悪さはする。だが、それほど人間はひねくれておらんよ」
と、懸命に私をかばって下さった。

しかし、組合の決議は大江山関の申し入れだけでは、簡単に変えることができず、ついに私はクビを宣告されてしまった。
 そこで大江山関は、この哀れな私を救ってくれた。
「組合がそうまでいうのなら、太郎のクビはしょうがない。ワシも認めよう。だがこの満洲へ、太郎一人だけを置き去りにするのは可哀想だから、これから先はワシが個人の費用で太郎を連れて行く。太郎の宿賃も汽車賃も、食事代もすべてワシが持つ。今日からは太郎はもう組合の一員じゃない。だから、太郎に君たちが勝手な用をいいつけてくれては困るぜ」
といって、私を一行といっしょに連れて行ってくれることになった。

大江山関は、イキないい相撲をとる人で人気もあった。またそれだけに、人間的にも深味のある立派な人だった。で、私はその日から、大江山関個人のつき人となり、みんなから「太郎、太郎」とこき使われることから解放され、ノビノビとした毎日が送れることになった。解放された喜び、それは、身をもって味わったことのない人には、とうていわかってはもらえないだろう。

元の呼出しに!

 一行は永廊で、このように思わぬひと悶着を起こして手間どったが、翌日直ちに次の巡業地へ旅立った。奥地への徒歩行軍である。そして、いざ相撲のふたを開けようとして、組合は意外な難問にぶつかった。それというのは、私をクビにしたことにより、組合に呼出しが一人もいなくなっていたことだ。相撲界全般からみれば、関取衆ばかりが大きく浮かび上がって、呼出しなど本当に虫けらみたいなものだろうが、それでいて呼出しがいないとなると、およそ格好がつかんものである。

現に本場所の相撲に、呼出しがなかった時のことを考えてみるがいい。 組合は、それですっかり困ってしまった。私をクビにする時は、みんなが感情的にたかぶっていたので、私のほかに呼出しがいないことをすっかり忘れてしまったらしいのだが、さて、いざ商売開業となってハタと当惑、うろたえた親方が、すぐまた私のところへ来て、

「太郎、あの時はすまなんだ。組合内の空気からああするよりほかなかったんだ。ワシらとしても、別に悪気があってやったわけじゃない。それで、すまんが土俵へ上がってくれんか、このとおり手をついて頭を下げる」
と、頼み込まれた。だが、私は大江山関個人のものである。ここは滅多に譲歩はなりがたい。がんばるのはこういう時だ。

「いやですよ。今になってそんなことをいわれたって、おれにも虫がありますぞ。だが、大関がやれといわれたら、そりゃやったっていいですがネ……」
と、そり返った。
 しょうことなく、親方は大江山関のところへ、今までのことを詫びに行った。その結果はこのエラい大関に、
「一行の親方ともあろう人が、目先のことばかりを考えて、軽卒にことを運ぶからイカンのだ。もっと大局から物を見なさい」
と怒られていたが、大江山関も相撲ができなくては困るからと、そこは物のケジメのよくわかったお人だから、長くは思案もせずこの詫びを入れて、
「どうだ太郎、みんなが困ってるんだ。ワシに免じて出てやってくれんか…」と、いう話。

 その日から、私はまた一行に復帰することになった。今から考えてみれば、全く若気の至りではある。だが、その頃は、ふつふつとして沸き上がる正義感が、私にこのように極端な行動をとらせたのだ。ついでながら、当時の私はケンカ早い、手のつけられぬ腕白小僧で、相撲取りの若者衆とやりあっても、絶対に負けぬだけの自信をもっていた。

 

二、旅ガラス、前編 三、雄飛の夢、前編